無事に到着し、お仕事をはじめております。
移動日の翌日から寒波で大雪。
自称寒いところと雪が嫌いなはるかです。
でもなんでか耐性あるんですよね( ´-`)フシギ
さて、今回の移動は珍しくとても悩みました。
移動先の環境とか就業条件とかで悩むことはよくあるんだけど、
いつものそれとは少し違ったように思います。
わたしはこの仕事をはじめるときに、
どこにいても私は私の人生を生きられるように、困らないようになろうと思いました。
そして、そうなれるように工夫したし、旅のなかで理想に近づけたんじゃないかなーって少し思うところもありました。
今回、移動先を決める際、
担当さんから
「あなたならどこでも紹介できます」
とありがたいお言葉をいただきました。
普段から出している条件で探してもらおうとしても、
「ありすぎるからもう少し条件つけてください」
と。
いくつか条件を足して、それでも多すぎる資料の中から、岐阜に決めました。
どこにいても大丈夫。
を実感すると同時に、はじめて選択肢が多すぎることを怖いと思ったのでした。
私は何処にいてもよくて、何処へでも行かれるけれど、
ここで、そこで、なくてはならない理由がない。
どうしてもここに居たいと思う理由がない。
定住する理由が、ない。
かつて、どうしても行かないでと言ってくれた人を置いてきぼりにして始めた旅は、とても自由だったけれど、
ここへきて迷子になったような気持ちになりました。
居場所はどこでもいいってことは、居場所がないのと同じなのではないか?
すがるように決めた行き先。
緊張も人見知りもしないけど、
足元が安定しなくて、不安で、不安で。
先日、遠方に住むひとりの知人が
「離れないし、連れ回していいよ」
と言ってくれました。
それぞれ生活があるから現実的ではなくて、
雲を掴むようなはなしだけれど。
それでも。
見たもの聞いたもの、触れたものを
データで共有できるから。
何処へでも連れていくよ。
そうやって、意味をつけてくれた人を
とても尊くおもいました。
また少し、旅の意味が変わったような気がします。
陽夏-はるか-